仏教儀礼の「追儺会(ついなえ)」(鬼やらい)の儀式に猿楽集団が参画することによって、鬼面(きめん)が新たに加わり、それを土台として鎌倉時代から室町時代の初めにかけての時期には、癋見(べしみ)・顰(しかみ)・飛出(とびで)・悪尉(あくじょう)といった鬼系面が発生していたようです。
そして、翁と鬼とが一対の面として尊重され、また共演して何らかの呪術的祝祷的芸能を行ったものと思われます。また、この期の末期には鬼系面につづいて尉(じょう:男の老人)系面が出現しました。